日本神話関係。 主に日本書紀・古事記・風土記をもとに、日本神話について「事実関係(書いてあること)の整理整頓」する、備忘録的なブログ。 他には「素朴な問いを立てる」ことを重視していきたい。 「謎の解明」はきっと専門家がどっかでやるので、そんなに興味なし。 あとは、たまには「雑感・想像・妄想」織り交ぜて色々とイメージを膨らませたいとも思っている。 ちなみに、最近はアイヌ神話・琉球の神話にも興味がある。 著作権については興味なし。 ここで書いたりアップしたものは、勝手に使用・転載していいです。(使う機会あればの話ですが・・・)
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④その後、高皇産霊尊は真床追衾(マコトオフフスマ)でもって皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って、地上に降臨させた。
皇孫は、
・天磐座(アマノイハクラ)を離れて、
・天八重雲をおしわけて、
・稜威の道別に道別して、
日向の襲の高千穂の峰に、降臨した。
そして皇孫は次のように旅をした。
・槵日の二上の天浮橋から、
・浮島があってその平らな所に立って、
・膂宍の空国(ソシシのムナクニ。荒れ果てた不毛の地)を、ずっと丘続きの所を国覓ぎ(クニマギ。良き国を求め探すこと)して通った。
そして吾田の長屋の笠狭碕に到った。
⑤この地にある人がいた。
自らを事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサ)と名乗った。
皇孫は「ここに国はあるのか?」と問うた。
それに対して「ここには国がある。気が向いたらゆっくりしていってね。」と返答した。
よって皇孫はこの地に留まった。
その国に美人が居た。
名を鹿葦津姫(カシツ姫。亦の名を神吾田津姫。亦の名を木花之開耶姫。)といった。
皇孫はこの美人に「あなたは誰の娘か?」ときいた。
それに対して「私は天神が、大山祇神を娶って、産まれた子です。」と返答した。
皇孫は鹿葦津姫と夜を共にした。
すると一夜で妊娠した。
皇孫はこれを信じないでこう言った。
「天神といえど、一夜の間に相手を妊娠させるなんてできっこない。
お前が宿した子は、絶対に俺の子じゃない。」
故に鹿葦津姫は怒り恨んだ。
無戸室(ウツムロ)を作って、その中に入った。
そしてこう誓約をした。
「私が妊娠した子がもし天孫の胤でないならば、必ず焼け滅ぶだろう。
でももし本当に天孫の胤であれば、火によっても害することはできないだろう。」
そう言って火を放って室を焼いた。
燃え始めの頃に起こった煙の末に生れ出た子を、火闌降命(ホノスソリの命。隼人の始祖である)と名づけた。
次に熱を避けて居るときに、生れ出た子を、彦火火出見尊(ヒコホホデミの命)と名づけた。
次に生れ出た子を、火明命(ホノアカリの命。尾張連らの始祖である)と名づけた。
あわせて三人の子である。
しばらくして天津彦彦火瓊瓊杵尊は亡くなった。
筑紫の日向の可愛(エ)の山陵に葬られた。③その後、高皇産霊尊は更に諸神を召集して、今度は葦原中国に誰を派遣するか選んだ。
皆はこう言った。
「経津主神(フツヌシの神。磐裂根裂神→その子が磐筒男・磐筒女→その子が経津主神)が良いでしょう」
その時に天石窟に住む武甕槌神(タケミカヅチの神。稜威雄走神(イツノヲハシリの神)→その子が甕速日神(ミカノハヤヒの神)→その子が熯速日神(ヒノハヤヒの神)→その子が武甕槌神)が進み出てこう言った。
「なんで経津主神は立派な丈夫だが、私は彼ほどではないと言うのか。」
その語気はめっちゃ激しかった。
故にこの神を経津主神にそえて、葦原中国に向かわせた。
二神は出雲国の五十田狭の小汀(イタサのヲハマ)に降りたった。
十握剣を抜いて、地に突き立てて、その鋒端に跨って、大己貴神にこう問うた。
「高皇産霊尊は皇孫を降臨させて、この国を支配させたいと考えている。
そのためまずは我ら二神を遣して、この地の平定に取り掛かっている。
さて、あなたの意思としては、この国を去るか否かのどちらか?」
大己貴神は「まずは我が子に問うてみて、その後に返答しましょう。」と言った。
この時にその子である事代主神は、出雲国の三穂之碕にいた。
そこで魚釣をしていた。或いは鳥を射っていたとも言われている。
そこに熊野の諸手船に使者の稲背脛を載せて派遣した。
こうして高皇産霊尊の勅を事代主神に伝え、かつそれにどのように返答するかを問うた。
事代主神は使者にこう言った。
「天神からの勅に従い、我が父は去るべきだ。私もまた同様である。」
そして海中に八重蒼柴籬(ヤヘのアヲフシカキ)を造り、船のへさきを踏んで、去った。
使者はすぐに戻ってこのことを報告した。
大己貴神はその子の言葉をもって、二神にこう言った。
「私が怙みにしていた子は、既に去った。故に私もまた去ろう。
もし私が抗戦したら、国内の諸神たちも必ず抗戦しただろう。
でも今私が去れば、もう天神に従わない神はいないだろう。」
そして国を平らげた時に愛用していた広矛を、二神に授けてこう言った。
「私はこの矛をもって今まで仕事を成し遂げてきた。
天孫もこの矛をもって国を治めるならば、必ず平安となるだろう。
今まさに私は八十隅(ヤソクマデ)に隠れよう。」
言い終わって遂に隠れた。
この後、二神は諸々のまつろわぬ鬼神等を誅した。
そして戻って成果を報告した。
①天照大神の子である正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊(タカミムスヒの尊)の娘である栲幡千千姫(タクハタチヂ姫)を娶った。
そして天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギの尊)を生んだ。
皇祖の高皇産霊尊は大きな情愛を込めて力を入れて養った。
そして皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主にしようと欲した。
しかしその地には蛍火の輝く神や蠅声の邪神が多く存在した。(たいした力はないがよく騒いで従わない神々)
また草木もことごとくよく物を言っていた。
よって高皇産霊尊は八十諸神を召集して、問いてこう言った。
「私は葦原中国の邪しきモノ共を討伐したいと思っている。誰が適任だろうか?
諸神たちよ忌憚のない意見を言ってくれ。」
皆こう言った。「天穂日命は神の傑物です。試みてみない手はないでしょう。」
皆の意見のとおり、天穂日命を向かわせた。
しかしこの神は大己貴神に媚びて、三年たっても一向に復命しなかった。
そこで、その子の大背飯三熊之大人(オホソビメミクマノウシ。またの名を武三熊之大人)を遣した。
これもまたその父におもねって、遂に復命しなかった。
②よって、高皇産霊尊は更に諸神を召集して、今度は誰を遣すべきか問うた。
皆はこう言った。「天国玉の子の天稚彦(アメワカヒコ)は、猛き神です。彼を遣してみてはいかがでしょう。」
高皇産霊尊は天稚彦に天鹿児弓(アマノカゴユミ)および天羽羽矢(アマノハハヤ)を賜って、彼を遣した。
この神もまた忠誠ではなかった。現地に到着した後に、顕国玉(ウツシクニタマ。一説では大己貴神の別名)の娘の下照姫(シタデルヒメ。亦の名を高姫。亦の名を稚国玉。)を娶った。
そして留まって「吾もまた葦原中国を支配したいものだ。」と言って、遂に復命しなかった。
この時、高皇産霊尊は久しく報告に来ないことを怪しみ、無名雉を遣わして天稚彦の仕事っぷりの様子を見させた。
その雉が降りるとき、天稚彦の門前に植えてある湯津杜木の杪(ユウカズラのスエ。神木である桂の梢)にとまった。
天探女(アマノサグメ)はこれを見て、天稚彦にこう言った「珍鳥が来て神木の梢にとまっている。」
天稚彦は高皇産霊尊が賜った天鹿児弓と天羽羽矢を取って、雉を射って殺した。
その矢は雉の胸を貫き、高皇産霊尊の御前まで届いた。
高皇産霊尊はその矢を見てこう言った。
「この矢は昔に私が賜った、天稚彦の矢である。矢は血まみれだ。国神と相戦ったからついたものだろうか」
そして、矢を取って下に投げ返した。
その矢は、天稚彦の胸の上に落下した。
この時天稚彦は、新嘗のため寝臥せっている時だった。
矢に当たって即死した。
これが世の人のよく言う、反矢は畏むべきということの由縁である。
[天稚彦の妻の下照姫は、号泣し悲しんで、その声は天に達した。
この時天国玉はそこ哭声を聞いて、天稚彦の死を知った。
乃ち疾風(ハヤチ)を遣わして、尸(カバネ)を挙げて天に致さしむ。
便ち喪屋を造って殯をした。
即ち川鴈(カハカリ)をもって、持傾頭者(キサリモチ)及び持帚者(ハキモチ)とした。
(一説には、鶏をもって持傾頭者と為し、川鴈をもって持帚者と為す)
又、雀をもって舂女(ツキメ)と為した。
(別の一説によると「乃ち川鴈を以って持傾頭者と爲し、亦持帚者と爲す。
鴗を以って尸者(モノマサ)と爲す。
雀を以って春者(ツキメ)と爲す。
鷦鷯を以って哭者(ナキメ)と爲す。
鵄を以って造綿者(ワタツクリ)と爲す。
烏を以って宍人者(シシヒト)と爲す。
凡て衆(モロモロ)の鳥を以って任事(コトヨサ)す。」)
八日八夜、泣き悲しみ歌った。
天稚彦が葦原中国にありし頃、味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)とは良き友だった。
故に味耜高彦根神は天に昇って喪を弔った。
この神の容貌は天稚彦の生前によく似ていた。
天稚彦の親や妻子は皆これを見て、わが君は猶生きていると思い、衣帯に縋りつき、喜び戸惑った。
味耜高彦根神は憤然と怒ってこう言った。
「朋友の道としては、相手が亡くなったら弔うべきと考えている。
故に死穢なんぞ憚らず、遠くから赴いてきて哀しんでいる。
なのになぜ私を死者と見間違えるのか。」
その帯びていた剣である大葉刈(オオハガリ。亦の名を神戸剣。)を抜いて、喪屋を斬り倒した。
これが落ちて山となった。今の在美濃国の藍見川の川上にある喪山が、これだ。
世人が生者と死者とを間違えることを忌む、その由縁である。]
①この時、素戔鳴尊は天から出雲国の簸の川上に降った。
その時に川上から啼哭く声が聞こえた。
そこでその声の主の元へ向かった。
そこにはある一組の老夫婦がいて、中間に少女を置き、撫でながら哭いていた。
素戔鳴尊が問いてみた。「汝等は誰だ?何でこんなに泣いているのだ?」
答えて言う。
「我らは国つ神だ。
私の名は脚摩乳(アシナヅチ)。
私の妻の名は手摩乳(テナヅチ)。
この童女は私たちの娘だ。名は奇稲田姫(クシイナダヒメ)。
昔に私たちには八人の娘がいたが、年ごとに八岐大蛇によって呑みこまれてしまった。
今この娘も呑まれようとしている。
その運命を免れられる方法はない。それ故に悲しんでいる。」
素戔鳴尊が勅してこう言った。
「そのような事情なら、あなたの娘を私にくれないか。」
それに答えてこう言った。「勅のままに行いましょう。」
②そこで素戔鳴尊はちょっとの間に奇稲田姫を湯津爪櫛(ユツツマグシ)に変化させて、御髻に挿しておいた。
そして脚摩乳と手摩乳に大量の釀した酒を用意させた。
並行して仮に作った棚を八面を作り、それぞれ一口ずつ槽(サカブネ)を置いた。
そして酒を満杯にして待った。
しばらく時がたってから、大蛇が現れた。
頭・尾はそれぞれ八つあった。
眼は赤酸醤(赤カガチ。赤ほおずき)のようだ。
その背の上には松や柏が生えていて、八つの丘・八つの谷の間に蔓延していた。
酒を見つけて、それぞれ頭を各一つの槽に突っ込んで飲み出した。
そうしたら酔って熟睡してしまった。
それを見計らって素戔鳴尊は帯びていた十握剣を抜いて、その蛇をズタズタに斬った。
剣が尾に到ると、剣の刃が少し欠けた。
その尾を裂いて中を視てみると、中に一振の剣があった。
これがいわゆる草薙剣である。〈ある書に曰く。元の名は天叢雲剣という。大蛇の居る所の上には、常に雲がある。故にこう名づけられたか。後代にヤマトタケルが草薙剣と改名したと言われている。〉
素戔鳴尊はこう言った。「何て神々しい剣だ。これは私の手元に置くべきものではない。」
そして天つ神に献上した。
③こうした後に、結婚生活をする所を探した。
そして遂に出雲の清地(スガ)に到った。
そのときにこう言った。「今の私の心境は清々しい。」(そのため、今この地をスガと呼んでいる)
そこに宮を建てた。
(或るところでは、素戔鳴尊はこのように歌ったとも伝えられている。
や雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣ゑ)
そこで共に遘合して、その子の大己貴神(オオアナムチの神)が生まれた。
そして勅してこう言った。
「我が子の宮の首(ツカサ)は、脚摩乳と手摩乳とする。」
二神に、稲田宮主神(イナダノミヤヌシの神)という名を賜った。
この後の素戔鳴尊の所業は、甚だ手の付けられないほどひどかった。
天照大神は、天狭田(アマノサナダ)と長田(ナガタ)を自身の田としていた。
それに対して素戔鳴尊は以下のことを行った。
(春には)
・重播種子(シキマキ。すでに稲の種がまいてあるところに、後でもう一度種をまくこと。これやられると困るらしい)
・畔をぶっ壊した
(秋には)
・天斑駒(アマノブチコマ。まだら模様の馬)を田の中に放った。
・天照大神が新嘗の行事を行っている時に、こっそり新宮にうんこした。
・天照大神が斎服殿にいて神衣を織っていたときに、天斑駒を則剥にして、殿の甍(イラカ)を穿った上で中にぶん投げた。(この時に天照大神は驚いて、梭で自身を傷つけてしまった)
天照大神はこれにはブチ切れた。
天石窟に入って、磐戸を閉めてこもった。
よって、六合の内は昼夜関係なく、常闇となった。
そんな訳で八十万神は天安河辺に集って、対応策を協議した。
そこで思兼神(オモヒカネの神)は深く謀り遠く慮った。
あとは以下の経過をたどった。
①常世の長鳴鳥たちを集めて、長鳴させた。
②手力雄神(タチカラヲの神)を磐戸の側に待機させた。
③天児屋命(アマノコヤネの命。中臣の連の遠祖)と太玉命(フトタマの命。忌部の連の遠祖)の両者が、天香山の五百箇の真坂樹に以下のものをかけて、祈った。
・上枝には八坂瓊の五百箇の御統をかけた
・中枝には八咫鏡(一説には真経津鏡という。読み方はマフツの鏡)をかけた
・下枝には青和幣と白和幣をかけた。
④天鈿女命(アマノウズメの命。サルメの君の遠祖)が手に茅纒の矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに作俳優(わざおき)した。
・天香山の真坂樹をもって鬘として、
・蘿〈ヒカゲ〉をもって手繦〈タスキ〉として、
・かがり火を焼いて、
・覆槽置〈うけふ〉せて神憑りした。
⑥この時に天照大神は外の様子を聞いてこう思った。
「私はこの頃は石窟に引き篭もっている。豊葦原中国は間違いなく常に夜の状態のはずだ。なのに何で天鈿女命はあんなに楽しそうなんだろう。」
そこで、手でちょっとだけ磐戸を開けてこっそり外を覗いた。
⑦その時に手力雄神が天照大神の手を取って、引き出した。
⑧中臣神・忌部神が端出之縄(シメクメナハ)を入口にはった。
そして「もうあそこに戻らないでください。」と請願した。
この後、諸々の神たちはその罪の責任を素戔鳴尊に取らせた。
千座置戸への捧げ物を沢山徴収した。
そして髪を抜いて、その罪を購わせた。(また、手足の爪を抜いてこれを贖わせたとも言われている。)
最終的には追いやった。