忍者ブログ

日本神話の探求ブログ

日本神話関係。 主に日本書紀・古事記・風土記をもとに、日本神話について「事実関係(書いてあること)の整理整頓」する、備忘録的なブログ。 他には「素朴な問いを立てる」ことを重視していきたい。 「謎の解明」はきっと専門家がどっかでやるので、そんなに興味なし。 あとは、たまには「雑感・想像・妄想」織り交ぜて色々とイメージを膨らませたいとも思っている。 ちなみに、最近はアイヌ神話・琉球の神話にも興味がある。 著作権については興味なし。 ここで書いたりアップしたものは、勝手に使用・転載していいです。(使う機会あればの話ですが・・・)

日本書紀の一書を意訳してみた(第5段の第6の一書)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

日本書紀の一書を意訳してみた(第5段の第6の一書)

一書曰。
(0)伊弉諾尊と伊弉冊尊は共に大八洲国を生んだ。

その後に伊弉諾尊はこう言った。
「私が生んだ国は、朝霧があって、薫りが満ちているかな。」

・そして吹き撥った息が神となった。名付けて曰級長戸辺命(シナトベの命。またの名は級長津彦命。)。
これは風神である。

・又、飢(ヤハ。飢えて気力を失う)しかりし時に生んだ子の名は倉稲魂命(ウカノミタマの命)という。
・又、生んだ海神たちを、少童命(ワダツミの命)という。
・山神たちを山祇(ヤマツミ)という。
・水門神たちを速秋津日命(ハヤアキツヒの命)という。
・木神たちを句句廼馳(ククノチ)という。
・土神を埴安神(ハニヤスの神)という。


④その後に悉に万物を生む。
火神の軻遇突智を生むに至り、その母の伊弉冊尊は、焦かれて化去(カムサ)った。


⑤この時に伊弉諾尊は恨んでこう言った。
「唯一児をもって、我が愛しき妻と引き替えとなったとは。」
そして頭辺に匍匍(ハラバ)ひて、脚辺に匍匐ひて、哭き泣(イサ)ち流涕(カナシ)んだ。
その涙が堕ちて神となった。
lこれは畝丘(ウネヲ)の樹下に居る神である。名は啼沢女命(ナキサハノメの命)という。

遂に帯びていた十握剣を抜いて、軻遇突智を斬って三段に為す。
これがそれぞれ神となった。

また、剣の刃から垂った血が、天安河辺(アマノヤスノカハラ)に在る五百箇磐石(イホツイハムラ。数多の岩群)となった。
・これが経津主神の祖である。

また、剣の鐔(ツミハ)から垂った血が、激越(ソソ)ぎて神となった。
・名付けて甕速日神(ミカノハヤヒの神。)という。
・次に甕速日神(ヒノハヤヒの神)。甕速日神が武甕槌神の祖である。
(またこうも言われている。まず甕速日命、次に甕速日命、次に武甕槌神。)

また、剣の鋒(サキ)から垂った血が、激越ぎて神となった。
・名付けて磐裂神(イハサク)という。
・次根裂神(ネサク)。
・次磐筒男命(イハツツノヲの命。ある説では、磐筒男命および磐筒女命。)

また剣の頭(タカミ)より垂った血が、激越ぎて神となった。
・名付けて闇龗(クラオカミ)という。
・次に闇山祇(クラヤマツミ)。
・次に闇罔象(クラミツハ)。


⑥こうした後に、伊弉諾尊は伊弉冊尊を追って黄泉に入り、共に語った。
伊弉冊尊はこう言った
「我が夫君(ナセ)の尊よ、何でこんな晩く出でましたのか。
私はすでに湌泉之竈(ヨモツヘグヒ。黄泉の国の食物を食べる)をしてしまった。
そして、私はまさに寝息(ネヤス)もうとしている所だ。
お願いだから、視ないで。」

伊弉諾尊はこれを聴かなかった。
秘かに湯津爪櫛(ユツツマグシ。神聖な櫛)を取って、その雄柱(ホトリハ。辺の歯)を牽き折って、秉炬(タヒ。手に持つ火)として、見てみると膿が沸き虫がたかっていた。
今の世の人が夜に一片之火(ヒトツビトボスコト)を忌む、また夜に擲櫛(ナゲクシ)を忌む、その由縁である。

その時に伊弉諾尊がこう言った。
「私は意図せずとんでもなく醜く汚穢(キタナ)き国に来てしまった。」
すぐに急いで逃げ廻帰(カエ)った。

その時、伊弉冊尊は恨んでこう言った。
「何で契った言葉を守らないで、私に恥辱を与えるのか。」
そして泉津醜女(ヨモツシコメ。一説には泉津日狭女)八人を遣わして、追って留めようとした。

故に伊弉諾尊は、剣を抜いて背に振りながら逃げた。

黒鬘(クロカズラ。頭に巻いた蔓草)を投げた。
それが蒲陶に化成した。
醜女はこれを見て、とって噉(ハ)んだ。
噉み終わったらすぐにまた追ってきた。

伊弉諾尊は、今度は湯津爪櫛を投げた。
筍に化成した。
また醜女はこれを抜いて噉んだ。
噉み終わったらすぐにまた追ってきた。

その後で伊弉冊尊自ら追って来た。
この時、伊弉諾尊は既に泉津平坂(ヨモツヒラサカ)に到っていた。
(一説には、伊弉諾尊が大樹に向かって放尿(ユマリ)すると、巨川に化成した。
泉津日狭女がその水を渡ろうとしている間に、伊弉諾尊は泉津平坂に至った。)

そして、千人所引(チビキ)の磐石(イハ)をもって、その坂路を塞いだ。
伊弉冊尊と相向って立って、遂に絶妻之誓(コトド。離縁の呪言)を言い渡した。


⑦その時に伊弉冊尊はこう言った。
「愛しき我が夫君(ナセノミコト)よ、そんなことを言うなら、私は汝が治める所の国民を、一日に千人ずつ縊り殺そう。」

伊弉諾尊はこう返答した。
「愛しき我が妻よ、そんなことを言うなら、私は一日に千五百人ずつ生ませよう。」

・そして「ここを過すなよ。」と言って、その杖を投げた。それを岐神(フナトの神)という。
・又その帯を投げた。これを長道磐神(ナガチハの神)という。
・又その衣を投げた。これを煩神(ワヅラヒの神)という。
・又その褌を投げた。これを開齧神(アキクヒの神)という。
・又その履(クツ)を投げた。これを道敷神(チシキの神)という。

(その泉津平坂について、或は所謂(イ)ふ、泉津平坂者というのはまた別の処所(トコロ)ではなく、ただ臨死気絶之際(臨終寸前の時)、このことを言っているか。)

所塞(フサ)がった磐石(イハ)というのは、泉門(ヨミド。冥界の入り口)に塞(フタガ)ります大神をいう。亦の名を道返大神(チガヘシの大神)という。


⑧伊弉諾尊は既に還って、後悔してこう言った。
「私は先程に不須也凶目(イナシコメ)き汚穢(キタナ)き所に到った。
故に我が身の濁穢(ケガラハシキモノ)を滌(アラ)ひ去(ウ)てむ。」

そして筑紫の日向の小戸の橘の檍原(アハキハラ)に到って、秡ぎ除った。
遂に身の所汚(キタナキモノ)を盪滌(スス)ごうと、こう興言(コトアゲ)した。
「上瀬は太(ハナハ)だ疾し。下瀬は太だ弱し。」
そして中瀬にて濯いだ。

・これに因って生んだ神を、名付けて八十枉津日神(ヤソマガツヒの神)という。
・次にその枉(マガ)れるを矯そうとして生んだ神の、名付けて神直日神(カムナホヒの神)という。
・次に大直日神(オホナホビの神)。

又、海底で沈(カヅ)き濯ぐ。因って生まれた神の、
・名付けて底津少童命(ソコツワタツミの命)という。
・次に底筒男命(ソコツツノヲの命)。

又、潮の中に潜(カヅ)き濯ぐ。因って生まれた神の、
・名付けて中津少童命(ナカツワダツミの命)という。
・次に中筒男命(ナカツツノヲの命)。

又、潮の上に浮き濯ぐ。因って生まれた神の、
・名付けて表津少童命(ウハツワタツミの命)という。
・次に表筒男命(ウハツツノヲの命)。

凡(スベ)てで九神有します。
その底筒男命・中筒男命・表筒男命は、住吉大神である。
底津少童命・中津少童命・表津少童命は、阿曇連等の所祭(イツキマツ)る神である。



・その後に左眼を洗うと、因って神が生じた。名付けて天照大神という。
・復た右眼を洗うと、因って神が生じた、名付けてを月読尊という。
・復た鼻を洗うと、因って神が生じた。名付けてを素戔鳴尊という。

凡てで三神である。

伊弉諾尊は三子に勅任(コトヨサ)してこう言った。
「天照大神は高天原を治めるべし。
月読尊は滄海原の潮の八百重(ヤホヘ)を治めるべし。
素戔鳴尊は天下(アメノシタ)を治めるべし。」

この時に素戔鳴尊は既に年が長じていて、また八握鬚髯(ヤツカヒゲ)が生えていた。
然れども天下も治めないで、常に啼き泣(イサ)ち恚恨(フツク)む。
故に伊弉諾尊は「汝は何故に恒にこのように啼いているのか。」と問うた。
対して「私は母に根国に従いたいと思って、只泣いているのみです。」と言った。
伊弉諾尊はこれを悪んで「情(ココロ)の任(マニマ)に行ね。」と言って、逐(ヤラヒヤ)りき。
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

プロフィール

HN:
samaikur
性別:
非公開

P R