一書曰。
伊弉諾尊は三子に勅任してこう言った。
「天照大神は、高天之原を御(シラ)すべし。
月夜見尊は日に配べて天の事を知すべし。
素戔鳴尊は滄海之原(アヲウナハラ)を御すべし。」
既にして天照大神は天上に在しましてこう言った。
「葦原中国に保食神(ウケモチの神)がいると聞く。爾(イマシ。お前)、月夜見尊よ、就(ユ)きて候(ミ)よ。」
月夜見尊は勅を受けて降った。
そして保食神の許に到った。
保食神は首を廻して国に嚮(ムカ)うと、口から飯を出した。
又、海に嚮うと、鰭(ハタ。魚のヒレ)の広(ヒロモノ)・鰭の狭(サモノ。)を、口から出した。
又、山に嚮うと、毛の麁(アラモノ)・毛の柔(ニコモノ)を、口から出した。
(大意。国に顔を向けて飯、海に顔を向けて大小の魚、山に顔を向けて様々な獣を口から出した)
その品(クサグサ)の物を悉(フツク。豊富)に備えて、百机(モモトリノツクヱ)に貯(アサ)へて饗(ミアヘ)した。
この時に月夜見尊は忿然作色(イカリオモホテリ)してこう言った。
「穢しきかな。鄙(イヤ)しきかな。
寧(イヅクニ)ぞ口から吐いた物で、敢えて私に食わせるとは。」
そして剣を抜いて撃ち殺した。
然して後に復命した。
具(ツブサ)にその事を言った。
その時に天照大神は甚だ怒ってこう言った。
「汝は悪しき神である。もう相見えまい。」
そして月夜見尊と、一日一夜、隔て離れて住んだ。
この後に天照大神は、また天熊人(アマノクマヒト)を遣して往きて看させた。
この時、保食神は実(マコト)に已に死んでいた。
・唯しその神の頂に、牛馬と化為(ナ)ったものがあった。
・顱(ヒタヒ)の上に粟が生じていた。
・眉の上に繭(カヒコ)が生じていた。
・眼の中に稗が生じていた。
・腹の中に稲が生じていた。
・陰に麦及び大豆・小豆が生じていた。
天熊人は悉に取って持と去ってこれを奉進(タテマツ)った。
その時に天照大神は喜んでこう言った。
「この物は、顕見(ウツ)しき蒼生(アヲヒトクサ。)の、食って活くべきものだ。」(大意。これは現に存在する人民が食うべきものだ。)
そして、粟・稗・麦・豆を陸田種子(ハタケツモノ)とした。
稲を水田種子(タナツモノ)とした。
又、因りて天邑君を定めて、即ちその稲種をもって、始めて天狭田(アマノサナダ)及び長田(ナガタ)に殖えた。
その秋の垂穎(タリホ)、八握(ヤツカホ)に莫莫然(シナ。生い茂る)ひて。甚だ快し。
又、口の裏に繭を含んで、糸を抽(ヒ)くことを得たり。
これより始めて養蚕(コガヒ)の道あり。
(保食神、これをウケモチノカミという。
顕見蒼生、これをウツシキアヲヒトクサという。)