日本神話関係。 主に日本書紀・古事記・風土記をもとに、日本神話について「事実関係(書いてあること)の整理整頓」する、備忘録的なブログ。 他には「素朴な問いを立てる」ことを重視していきたい。 「謎の解明」はきっと専門家がどっかでやるので、そんなに興味なし。 あとは、たまには「雑感・想像・妄想」織り交ぜて色々とイメージを膨らませたいとも思っている。 ちなみに、最近はアイヌ神話・琉球の神話にも興味がある。 著作権については興味なし。 ここで書いたりアップしたものは、勝手に使用・転載していいです。(使う機会あればの話ですが・・・)
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①天照大神の子である正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊(タカミムスヒの尊)の娘である栲幡千千姫(タクハタチヂ姫)を娶った。
そして天津彦彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコヒコホノニニギの尊)を生んだ。
皇祖の高皇産霊尊は大きな情愛を込めて力を入れて養った。
そして皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主にしようと欲した。
しかしその地には蛍火の輝く神や蠅声の邪神が多く存在した。(たいした力はないがよく騒いで従わない神々)
また草木もことごとくよく物を言っていた。
よって高皇産霊尊は八十諸神を召集して、問いてこう言った。
「私は葦原中国の邪しきモノ共を討伐したいと思っている。誰が適任だろうか?
諸神たちよ忌憚のない意見を言ってくれ。」
皆こう言った。「天穂日命は神の傑物です。試みてみない手はないでしょう。」
皆の意見のとおり、天穂日命を向かわせた。
しかしこの神は大己貴神に媚びて、三年たっても一向に復命しなかった。
そこで、その子の大背飯三熊之大人(オホソビメミクマノウシ。またの名を武三熊之大人)を遣した。
これもまたその父におもねって、遂に復命しなかった。
②よって、高皇産霊尊は更に諸神を召集して、今度は誰を遣すべきか問うた。
皆はこう言った。「天国玉の子の天稚彦(アメワカヒコ)は、猛き神です。彼を遣してみてはいかがでしょう。」
高皇産霊尊は天稚彦に天鹿児弓(アマノカゴユミ)および天羽羽矢(アマノハハヤ)を賜って、彼を遣した。
この神もまた忠誠ではなかった。現地に到着した後に、顕国玉(ウツシクニタマ。一説では大己貴神の別名)の娘の下照姫(シタデルヒメ。亦の名を高姫。亦の名を稚国玉。)を娶った。
そして留まって「吾もまた葦原中国を支配したいものだ。」と言って、遂に復命しなかった。
この時、高皇産霊尊は久しく報告に来ないことを怪しみ、無名雉を遣わして天稚彦の仕事っぷりの様子を見させた。
その雉が降りるとき、天稚彦の門前に植えてある湯津杜木の杪(ユウカズラのスエ。神木である桂の梢)にとまった。
天探女(アマノサグメ)はこれを見て、天稚彦にこう言った「珍鳥が来て神木の梢にとまっている。」
天稚彦は高皇産霊尊が賜った天鹿児弓と天羽羽矢を取って、雉を射って殺した。
その矢は雉の胸を貫き、高皇産霊尊の御前まで届いた。
高皇産霊尊はその矢を見てこう言った。
「この矢は昔に私が賜った、天稚彦の矢である。矢は血まみれだ。国神と相戦ったからついたものだろうか」
そして、矢を取って下に投げ返した。
その矢は、天稚彦の胸の上に落下した。
この時天稚彦は、新嘗のため寝臥せっている時だった。
矢に当たって即死した。
これが世の人のよく言う、反矢は畏むべきということの由縁である。
[天稚彦の妻の下照姫は、号泣し悲しんで、その声は天に達した。
この時天国玉はそこ哭声を聞いて、天稚彦の死を知った。
乃ち疾風(ハヤチ)を遣わして、尸(カバネ)を挙げて天に致さしむ。
便ち喪屋を造って殯をした。
即ち川鴈(カハカリ)をもって、持傾頭者(キサリモチ)及び持帚者(ハキモチ)とした。
(一説には、鶏をもって持傾頭者と為し、川鴈をもって持帚者と為す)
又、雀をもって舂女(ツキメ)と為した。
(別の一説によると「乃ち川鴈を以って持傾頭者と爲し、亦持帚者と爲す。
鴗を以って尸者(モノマサ)と爲す。
雀を以って春者(ツキメ)と爲す。
鷦鷯を以って哭者(ナキメ)と爲す。
鵄を以って造綿者(ワタツクリ)と爲す。
烏を以って宍人者(シシヒト)と爲す。
凡て衆(モロモロ)の鳥を以って任事(コトヨサ)す。」)
八日八夜、泣き悲しみ歌った。
天稚彦が葦原中国にありし頃、味耜高彦根神(アジスキタカヒコネ)とは良き友だった。
故に味耜高彦根神は天に昇って喪を弔った。
この神の容貌は天稚彦の生前によく似ていた。
天稚彦の親や妻子は皆これを見て、わが君は猶生きていると思い、衣帯に縋りつき、喜び戸惑った。
味耜高彦根神は憤然と怒ってこう言った。
「朋友の道としては、相手が亡くなったら弔うべきと考えている。
故に死穢なんぞ憚らず、遠くから赴いてきて哀しんでいる。
なのになぜ私を死者と見間違えるのか。」
その帯びていた剣である大葉刈(オオハガリ。亦の名を神戸剣。)を抜いて、喪屋を斬り倒した。
これが落ちて山となった。今の在美濃国の藍見川の川上にある喪山が、これだ。
世人が生者と死者とを間違えることを忌む、その由縁である。]
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