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日本神話の探求ブログ

日本神話関係。 主に日本書紀・古事記・風土記をもとに、日本神話について「事実関係(書いてあること)の整理整頓」する、備忘録的なブログ。 他には「素朴な問いを立てる」ことを重視していきたい。 「謎の解明」はきっと専門家がどっかでやるので、そんなに興味なし。 あとは、たまには「雑感・想像・妄想」織り交ぜて色々とイメージを膨らませたいとも思っている。 ちなみに、最近はアイヌ神話・琉球の神話にも興味がある。 著作権については興味なし。 ここで書いたりアップしたものは、勝手に使用・転載していいです。(使う機会あればの話ですが・・・)

神武紀を意訳してみた③(八十梟帥との戦い)

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神武紀を意訳してみた③(八十梟帥との戦い)

《神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)九月戊辰(五)》

九月甲子朔戊辰に、天皇は菟田の高倉山の巓に登って、国の中を眺めた。


国見丘の上に八十梟帥(ヤソタケル)という者がいた。


女坂に女軍を置いて、男坂に男軍を置いた。

そして墨坂に熾し炭を置いた。

その女坂・男坂・墨坂の名は、これによって起こった。



また、兄磯城(エシキ)の軍が、磐余邑に満ちていた。

賊虜のいた所は、いずれも要害の地だった。

それ故に道路は塞がれていて、通れる所がなかった。


天皇はこのことを悪んだ。


その夜、自ら祈いて寝た。


夢に天神があらわれ、こう教えた。


「①天香山の社の中の土を取れ。

②それで天平瓮(アマノヒラカ)を八十枚と、併せて厳瓮(イツヘ。神酒を入れる聖なる瓶)を造って、天神地祇を敬い祭れ。

③厳呪詛(イツノカシリ)を為せ。


このようにすれば、敵は自ずと平伏するだろう。」


天皇は、祇んで夢の訓えを承って、それを行おうとした。



その時に弟猾も又こう奏した。

「倭国の磯城邑に磯城の八十梟帥が居ます。

また、高尾張邑(ある本では、葛城邑と伝えている)には赤銅の八十梟帥が居ます。


こやつらは天皇と戦おうとしています。

臣はひそかに天皇のために憂いております。

今天香山の埴を取って、天平瓮を造り、天社・国社の神を祭ってください。

その後に敵を討てば、除い易いでしょう。」


天皇がやはり夢の辞(ヲシヘコト)は吉兆だと思った。

弟猾の進言を聞いて、ますます心に喜んだ。


そこで、椎根津彦に弊(イヤ)しい衣服および蓑笠を着せて、老父の格好をにさせた。

また、弟猾に箕を被せて、老嫗の格好をさせた。


そしてこう命じた。

「汝ら二人は天香山へ行き、ひそかにその巓(イタダキ)の土を取って、戻って来い。

基業の成否は、汝らをもって占う。努力慎歟(ユメユメ)。」


この時、敵兵は路に満ちており、往来することさえ難しかった。


椎根津彦は祈いてこう言った。

「我が皇がよくこの国を定められるようであれば、行きの路は自ずと通れる。

もしそうでないならば、賊は必ず防げるだろう。」


言い終わってすぐに出発した。


この時、群虜は二人を見て、大笑いしてこう言った。

「なんと醜い老父と老嫗だろう。」

そして相与に道を闢(サ)って行かせた。

二人はその山に到着して、土を取って帰って来た。


天皇は甚だ悦んだ。

その埴(ハニツチ)から、八十平瓮・天手抉(アマノタクジリ)八十枚の厳瓮を造った。

そして丹生の川上に登って、それで天神地祇を祭った。



則ちその菟田川の朝原に、譬えば水沫の如くして、呪(カシ)り著くる所あり。


天皇は祈いてこう言った。

「私は今まさに八十平瓮をもって、水無しで飴を造ってみせる。

飴が成れば、私は鋒刃(ツハモノ)の威を借りるまでもなく、座しながらにして天下を平らげられるだろう。」

そして飴を造った。

飴はすぐに自ずとできた。


又、祈いてこう言った。

「私は今まさに厳瓮を丹生の川に沈める。

もし魚たちが大小の別なく皆酔って流れること、譬えばマキの葉が浮き流れるようであれば、私は必ずこの国を支配できるだろう。

もしそうでなければ、終生それは成就しないであろう。」


そして瓮を川に沈めた。

その口は下に向けた。

しばらくして、魚は皆浮き出て、水の随に噞喁ふ(あぎとふ。口をパクパクさせること)。



椎根津彦はこの様子を見て、天皇に奏した。

天皇は大いに喜んで、丹生の川上の五百箇の真坂樹を抜取にして、諸神を祭った。

此より始めて厳瓮の置(オキモノ)あるようになった。


そして道臣命にこう勅した。

「今、高皇産霊尊をもって、朕は親ら顕斎(ウツシイハヒ)しよう。

汝をもって斎主として、厳媛(イツヒメ)の名を授ける。

その置いた埴瓮(ハニヘ)を、厳瓮(イツヘ)と名づける。

また、火の名を厳香来雷(イツノカグツチ)とする。

水の名を厳罔象女(イツノミツハノメ)とする。

糧の名を厳稲魂女(イツノウカノメ)とする。

薪の名を厳山雷(イツノヤマツチ)とする。

草の名を厳野椎(イツノノヅチ)とする。」




《神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十月癸巳朔》

冬十月癸巳朔に、天皇はその厳瓮の糧を召し上がり、兵を整えて出た。


まず八十梟帥を国見丘で撃破して、斬った。

この役のときに、天皇は必ず克つということを思った。


そしてこう謡った。


「かむかぜの いせのうみの おほいしにや いはひもとほる しただみの しただみの あごよ あごよ しただみの いはひもとほり うちてしやまむ うちてしやまむ」


謡の意は、大きな石をもってその国見丘に喩えたものである。


既にして敵の残党が猶繁(オホ)くして、その情勢は測りがたかった。


それで道臣命にこう勅した。

「お前は大来目部を率いて忍坂邑で大室を作れ。

そこで盛んに宴饗を設けて、敵を誘い出してこれを討て。」


道臣命は密の旨を受けて、室を忍坂に掘って、我が猛き卒を選んで、敵と雑ぜ居った。

そして部下に秘かにこう命じた。

「酒酣(サケタケナハ)の後に私は立って歌う。

お前等は我が歌声を聞いたら、まとめて敵を刺せ。」


みな坐って酒盛りした。

敵は陰謀のあることを知らずに、酔っ払っていた。


ふと道臣命は立ち上がって、歌をこう詠んだ。

「おさかの おほむろやに ひとさはに いりをりとも ひとさはに きいりをりとも みつみつし くめのこらが くぶつつい いしつついもち うちてしやまむ」


その時に我が卒は歌を聞いて、皆その頭椎剣(クブツチノツルギ)を抜いて、まとめて敵を殺した。

敵に生き残った者はいなかった。



皇軍は大いに悦んで、天を仰いで笑った。


そしてこう歌った。

「いまはよ いまはよ ああしやを いまだにも あごよ いまだにも あごよ」


今の来目部が歌った後に大笑いするのは、その縁によるものである。


又、こうも歌った。

「えみしを ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず」


これらは皆、密旨を受けて歌ったものである。


敢えて自ら勝手にやったことではない。


その時に天皇はこう言った。

「戦に勝って驕る者無きことは、良将の行である。

今、魁賊(オホキなるアタ)はすでに滅びた。

同じく悪しき者は、恐れ騒いで安んじることない状況で、十数群ある。

その実情は不明である。

一所に長居して変事を制することも無いであろう。


そして徙(ス)てて別の処に営(イホリ)す。




《神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)十一月己巳(七)》

十有一月癸亥朔己巳に、皇軍は大挙して磯城彦を攻めようとしていた。


まず使者を遣して兄磯城を徴したが、兄磯城はその命を承らなかった。


次いで、頭八咫烏を召して先方に派遣した。


その時に烏はその営に到って、鳴いてこう言った。

「天神の子がお前を召している。怡奘過、怡奘過(イザワ、イザワ)。」


兄磯城は忿ってこう言った。

「天圧神(アメオスノカミ)が至ったと聞いて、私が慨憤している時に、何でこの烏鳥(カラス)はこんなやかましく鳴くんだ。」


そして弓を彎(ヒキマカナ)って射った。

烏はすぐに立ち避った。


次に弟磯城の宅に到って、鳴いてこう言った。

「天神の子がお前を召している。怡奘過、怡奘過。」


弟磯城は恐れかしこまってこう言った。

「臣は天圧神が至ったと聞き、朝夕畏ぢ懼(カシコマ)っております。

善きことかな、烏。汝がかく鳴くことは。」


そして葉盤八枚(ヒラデヤツ)を作って、食を盛って饗宴した。


そして烏に案内され、詣到(マウイタ)りてこう告げた。


「我が兄の兄磯城は天神の子が来たと聞き、八十梟帥を集めて軍備を整えて、共に戦おうとしている。

速やかに図りたまふべし。」



天皇はすぐに諸将を集めて、こう問うた。

「今、兄磯城は逆賊の意がある。召しても来ない。あれをどうすべきか?」


諸将はこう言った。

「兄磯城は悪賢い賊です。

まずは弟磯城を遣わして説得させましょう。

あわせて兄倉下と弟倉下にも説得させましょう。

もしそれでも遂に帰順しないならば、その後で挙兵しても遅くないでしょう。」


すぐに弟磯城を遣わして服従する利を伝えたが、兄磯城等は猶愚かなる謀を守って、従わなかった。


その時に椎根津彦が計ってこう言った。

「今はまず我が女軍を遣して、忍坂の道に出ましょう。

敵はこれを見て、必ずや鋭を尽くして赴いてくるでしょう。

そこで私は勁き卒を馳せて、直ちに墨坂を目指します。

そこで菟田川の水を取って、その炭火に灌(ソソ)いで、にわかの間にその不意を突けば、必ず敵を破れるでしょう。」


天皇はその策を褒めて、乃ち女軍を出して臨しめたまふ。


敵は大軍が来たと思って、力を畢して相待っていた。

これまでは皇軍は攻めれば必ず取り、戦えば必ず勝った。


けれども鎧兜の士どもは、疲弊することが無いわけではなかった。


故に聊(イササカ)に御謡を作って、将卒の心を慰めた。

こう謡んだ。

「たたなめて いなさのやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやゑぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね」


果たして男軍は墨坂を超えて、後ろから夾み撃ちにして敵を破った。

その梟帥兄磯城等を斬った。

 
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