日本神話関係。 主に日本書紀・古事記・風土記をもとに、日本神話について「事実関係(書いてあること)の整理整頓」する、備忘録的なブログ。 他には「素朴な問いを立てる」ことを重視していきたい。 「謎の解明」はきっと専門家がどっかでやるので、そんなに興味なし。 あとは、たまには「雑感・想像・妄想」織り交ぜて色々とイメージを膨らませたいとも思っている。 ちなみに、最近はアイヌ神話・琉球の神話にも興味がある。 著作権については興味なし。 ここで書いたりアップしたものは、勝手に使用・転載していいです。(使う機会あればの話ですが・・・)
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一書曰。
(二)大国主神(亦名大物主神。亦号国作大己貴命。亦曰葦原醜男。亦曰八千戈神。亦曰大国玉神。亦曰顕国玉神。)、その子は合わせて一百八十一神いる。
かの大己貴命(オホアナムチの命)と少彦名命(スクナビコナの命)、力を戮(アワ)せ心を一つにして、天下を経営(ツク)った。
また顕見(ウツシキ)蒼生(アヲヒトクサ)及び畜産(ケモノ)の為に、その病を療(オサ)める方(ミチ)を定めた。
又鳥獣・昆虫の災異(ワザハヒ)を攘(ハラ)う為に、その禁厭之法(マジナヒヤムルノリ)を定めた。
これによって百姓は今に至るまでに、咸(コトゴトク)に恩頼(ミタマノフユ)を蒙(カガフ)れり。
昔、大己貴命は少彦名命に語ってこう言った。「吾等が所造(ツクレ)る国。善く成ったと言えるだろうか。」
少彦名命は対してこう言った。「或は成せた所もあり、或は成らなかった所もあった。」
この談(モノカタリゴト)、蓋し幽深之致(フカキムネ)有らし。(この物語には、おそらくは深い訳があるのだろう)
その後、少彦名命は熊野の御碕に至って、遂に常世郷に適(イデマ)しぬ。
(またこうも言われている。淡嶋に至って、粟茎に縁りしかば、則ち弾かれ渡って常世郷に至った。)
(三)この後は国中の未だ成らざる所を、大己貴神は独り能く巡り造った。
遂に出雲国に到って、乃ち興言(コトアゲ)してこう言った。
「葦原中国は、本より荒芒(アラビ)たり。
磐石(イハ)・草木に至及(イタ)るまでに、咸く能く強暴(アシカ)る。
然れども吾は已に摧(クダ)き伏せて、不和順(マツロハズ)ということなし。」
遂に因りて言った。「今この国を理(ヲサ)めるのは、唯吾一身のみだ。吾と共に天下を理めるべき者は、蓋し有るだろうか。」
その時神しき光が海を照らして、忽然(タチマチ)に浮び来る者があった。
こう言った。「如し吾が不在なら、汝は何ぞ能くこの国を平らげられようか。吾が在るに由りての故に、汝はその大造之績(大きに造るイタハリ。大国を造るという手柄)を建て得たのだ。」
この時に大己貴神はこう問うた。「然らば汝は誰ぞ。」
対して言った。「吾は汝の幸魂(サキミタマ)・奇魂(クシミタマ)である。」
大己貴神は言った。「唯然(シカ)なり。廼ち知りぬ。汝は吾の幸魂・奇魂なり。今何処に住みたいか。」
対して言った。「吾は日本国の三諸山(ミモロノヤマ)に住みたい。」
故に宮を彼処に営(ツク)って、就(ユ)きて居(マ)しまさせむ。此が大三輪之神である。
この神の子が、甘茂君(カモノキミ)等・大三輪君等・又姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメの命)である。
(又こうも言われている。
事代主神は八尋熊鰐(ヤヒロワニ)に化為(ナ)って、三嶋の溝樴姬(ミゾクヒ姫。或は玉櫛姫とも言われている。)に通う。
そして児の姫蹈鞴五十鈴姫命を生んだ。これを神日本磐余彦火火出見天皇の后とした。)
(一)初めに大己貴神が国を平らげたときに、出雲国の五十狭狭の小汀(イササのヲハマ)に行って、まさに飲食しようとしていた。
この時に海上に忽(タチマチ)に人の声が有った。
乃ち驚いてこれを求めてみたが、何も見えなかった。
頃時(シバラク)して、一箇の小男あり。
白蘞(カガミ)の皮をもって舟を為(ツク)り、鷦鷯(サザキ)の羽をもって衣と為して、潮水(シホ)の随(マニマ)に浮き到った。
大己貴神は即取って掌中に置いて、翫(モテアソ)んでいたら、跳(ヲド)りてその頬(ツラ)を齧ふ(クふ。つつく)。
乃ちその物色(カタチ)を怪しんで、使を遣して天神に白す。
その時に高皇産霊尊はこれを聞きいてこう言った。
「吾が産んだ児は、凡(スベ)てで一千五百座(ハシラ)いる。その中の一児は最悪(イトツラ)くして、教養(ヲシヘゴト)に順(シタガ)はず。
指間より漏き堕ちた者は、間違いなく彼である。愛(メグ)んで養(ヒダ)せ。」